本日は1週回って千葉なり
おはようございます。
理学療法士の豊島です。
だいぶ季節も春になり、そろそろ花見が満開になる時期になりました。
昨年、今年と花見でワイワイすることは現状では難しいですが、歩きながら‘花を見る’ことも風情があって良いと思います。ちなみに京都に住んでいたころに感じていたことですが、京都は花見といっても、桜が満開の下、皆でワイワイ食事をするという場所はあまりありません(あったとしてもごく一部です)。むしろ、観賞するための桜が多く、観光地の中に桜の名所があるというところがほとんどです(鑑賞料もあります)。まさに京都は本当の花見ですね。
さて、話は変わり、豊島といえば地方シリーズです。前回は関西のお笑いについてお話をさせてもらいました。今回は千葉のお笑いとは言わず、もとに戻って方言の話をします。ん?千葉って標準語だから方言じゃないよね?と感じた方も多いと思いますが、実は広島出身であり、関西弁もしゃべる豊島からみれば標準語を普段の会話の中で聞くこと自体が実は新鮮なことであります。そこで今回は標準語について調べてみました。
標準語とは(インターネットの記事より抜粋、改定)
URL https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000154796
①『国語学研究事典では、標準語は「【意味】東京語を母胎にして作られ現実に全国で使われている共通語を、音韻・語彙・語法などあらゆる点についてさらに理想的に磨きあげた言語。(中略)」とあり、続けて「【歴史】わが国には、厳密な意味の標準語はないが、古くから、奈良時代には大和地方のことば、平安時代から室町時代末までは京都のことば、というように、その時代の政治・経済・文化の中心地のことばを、国の規範的・標準的ことばとし、そのほかの地方のことばを俗語と見てきていたようである。(中略)」とある。
②『日本語百科大事典』では、内容は①とほぼ同じもの。更に「方言と共通語の葛藤史」の中に“方言撲滅論”として、明治維新以後のことばの統一の流れの中で盛んになった「方言撲滅運動」と、その後に起こった「方言の復権」についての経緯もわかる。それによると、「…(前略)ことばの統一、すなわち標準語の普及は、同時に、方言を抹殺する方向へと進んでいった。方言は国家統一を阻むもの、社会の悪とも言われるようになった。その社会悪を排除するのが標準語教育であり、「方言撲滅」が国語教育における主務となっていったのである。」とあり、各地の学校でのさまざまな事例が紹介されている。その後昭和15年に起こった「方言論争」を契機に、「かつての「方言撲滅」のような暴論は減少し、標準語と方言の共存へと向かっていったが、その影響は「方言コンプレックス」「方言い対する劣等感」として根強く残ることになった。」とある。
標準語についてここまで書いてくれとても勉強になりました。ここで面白いなと思ったのが、歴史の中で方言の統一が国として行おうとしていたこと、方言が撲滅されそうになったことです。
昨今の世の中ではダイバーシティーという言葉があるように多様性を認める社会の実現が言われていますが、日本の中でも多様な方言があ、それは言語であり、それぞれがそれぞれの方言を尊重していくことが大切だと感じた今日この頃でした。
以上、豊島でした。また方言のことで聞きたいことがあれば(広島と京都に限定されますが)いつでもお声掛けください。